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Gプレスインタビュー

2013.June | vol.120

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NHKとソーシャルメディア。

NHK 報道局報道番組センター
ソフト開発プロジェクト
チーフ・プロデューサー

倉又 俊夫さん

くらまた・としお
1966年生まれ。1989年NHK入局。報道局、衛星放送局、編成局デジタルサービス部などを経て現職。90年代中盤から「SimTV」などの実験的な番組で、テレビの未来のあり方を模索。NHKスペシャル「デジタルネイティブ」や「特ダネ投稿DO画」のネット投稿等を手掛ける。ソーシャルメディアの活用も積極的に行い、現在、「クローズアップ現代」のツイッターやフェイスブック等も担当している。

ソーシャルメディアとテレビの連携。それをいち早く手がけ、成功モデルを築いてきたのはNHKである、ともいえる。公共放送であるNHKは、その業務の範囲が放送法という法律で規定されている。そうした中でも、ソーシャルメディアとの関わりを数年前から積極的に進め、『クローズアップ現代』をはじめとする報道番組ではツイッターの活用が奏功している。そこには、どのような背景や意思や意図があるのか。5年前からのソーシャルメディア活用に取り組み、また日本テレビとの共同プロジェクト「テレビ60」を手がけてきた倉又俊夫さんに、お話をうかがってみました。

 【西田】 私が驚くのは、NHKがツイッターのアカウントを立ち上げたのが、今から5年前、2008年であるということ。当時まだツイッターの黎明期であり、ソーシャルメディアという言葉すら世の中に浸透していなかった時で、私たち民放は、ほとんどがソーシャルメディアに対しては慎重に静観していました。そういった中、NHKがいち早くツイッターのアカウントを立ち上げたのは、かなりチャレンジングな試みだったのではないでしょうか。

 【倉又】 最初にツイッターを立ち上げたのは、『SAVE THE FUTURE』という環境番組の時でした。当時、アメリカのメディア等がツイッターを活用している話はきいていましたが、私たちも手探り状態でして、何を発信すべきか、放送作家を入れて議論したりしました。最初は、次のオンエア情報を流すのみに留めていましたが、次第に、ツイッターで他でも見られるオフィシャルな情報をツイッターで流しても意味がないこと、肌感覚の言葉といいますか、等身大の生々しいメッセージを送るべきメディアであることが、解かってまいりました。

 【西田】 解かります。私も3年前に『ダウンタウンDX』のツイッターを立ち上げまして、いろいろ試行錯誤していく中で、倉又さんがおっしゃっているようなツイッターの価値がようやく解かってきました。それを早々に把握されていた倉又さんは、正直、すごいと思います。

 【倉又】 いえ、私たちも試行錯誤の時間をかけて、ようやくいくつかのことがわかってきたというレベルです。ただ、私にとって、ツイッターに積極的に取り組む転機となった出来事がありました。先ほど申し上げました、初めてツイッターを活用した番組『SAVE THE FUTURE』は2日連続でオンエアしたのですが、その2日目の放送中に、あの「秋葉原殺傷事件」が起きたんです。ツイッターのアカウントを立ち上げたばかりでしたから、当初、私たちは番組の進行に合わせて次のコーナーをお知らせするようなツイートをしていました。今から思えば、きわめて常識的、あたり障りのないメッセージを送っていたわけです。すると、ある視聴者から「ボットかよ」というツイートがあったんです。「ボット」というのは、自動的にシステムによって発せられる機械的なメッセージということですが、「そう見ている人もいるのだ」ということにハッとさせされ、それで、どんな人がこんなツイートをしたのか追跡したところ、なんと13才の少年だったんです。それを知ったとき、これはとんでもないメディアだ!と直感しました。言ってみれば、これが私にとっての一つの転機です。「秋葉原殺傷事件」が起きた後、番組は放送予定と大きく変わり、ニュース等の情報を入れることになり、そこで、臨機応変に「このあと30分からはニュースです」、など現場でわかることを、その都度ツイートしていったのを覚えています。

 【西田】 2011年3月の震災のとき、広島の中学生がNHKのニュース画面をユーストリームに流して話題になりましたね。あのときの、NHKの対応は、私たちがびっくりするくらい柔軟でした。ユーストリームでの配信をオフィシャルに許容しました。

 【倉又】 あのときは、震災という緊急事態であり、放送法でも問題ないと判断し許容したわけですが、ある意味、放送の本質とは何かを突きつけられた出来事でもありました。広島の中学生は、「大変なことが起きた。テレビが見れない人もいるだろうし、これは世界中の人に知ってもらわなくてはいけない…」そんな純粋な思いから、テレビ画面をカメラで撮影しユーストリームを使って世界に発信した。そうした彼の純粋な思いに触れるにつけ、今テレビに必要なことは何かなど、いろいろなことを考えさせられました。それを受けて、震災当日の夜には、ニコニコ生放送に総合テレビを配信していただいたり、NHKとして公式にユーストリームで番組の配信を開始しました。ただ、広島の中学生が投げかけた問いは大きかったと思います。

 【西田】 「ボットかよ」とツイートした13才の話、震災時の広島の中学生の話は、テレビというメディアの性質が大きく変化していることを象徴していますよね。ソーシャルメディアが登場したことにより、今まで「受け手」一辺倒だった視聴者が、いつでも「送り手」になれる時代になった。私たちがこれから向き合っていく課題の本質ではないでしょうか。

 【倉又】 おっしゃるとおりですね。私たち放送局って、実は、コミュニケーションが苦手なんです。半世紀以上もずっと「送り手」しかやったことがないので、「送られてきたものに返す」というコミュニケーションにまったく慣れていません。ソーシャルメディアの登場によって、それをやらなくてはいけない時代になった。ソーシャルメディアに対して、どうしても「構えた」気持ちになってしまうのは、そういうことにも原因があるのでしょう。

 【西田】 どのタイミングで、どんなメッセージを、どうつぶやけばいいのか。これはかなり難しい問題ですよね。無論、やみくもにつぶやけばいいものではありませんし、どこかで「どうすれば視聴率のアップにつながるのか」ということも考えてしまいます。

 【倉又】 私もまだ掴みきれていません。ツイートの反響についてはなかなか予測できないです。最近の興味深かった例で申し上げますと、ゲームクリエーターの飯野賢治さんが亡くなったときに、生前『クローズアップ現代』に出演いただいたことがありまして、そのとき飯野さんの回を番組ホームページにアップし、それををツイートしたんです。これがかなりの反響がありまして、『クローズアップ現代』ってそういうことも伝えている番組だったんだ…と、番組のことを初めて知っていただいた方もかなりいらっしゃいました。

 【西田】 結局、「旬に触れた、生々しいツイート」が、大きな反響を呼ぶツイートということですね。

 【倉又】 そうですね。その「反響の大きさ」を測るとき、量と質をきちんとみていかないといけません。ツイート数が多ければ反響が大きいかというと、番組の種類によって変わります。たとえば、アニメのようなコンテンツは、ツイート数が多くても同一人物が複数回ツイートしていることが多い。一方、ドキュメンタリーやニュースのような番組は、ツイート数は少ないけれど、そこでツイートする人は多くのフォロワーを抱えているインフルエンサーだったりします。ドラマであれば、ツイートの文字数、長いか短いかが見るべきポイントになります。

 【西田】 NHKはすごいですね。ソーシャルメディアという新しいメディアに対して、いち早く且つ徹底的に取り組んでいる。正直、頭が下がる思いです。

 【倉又】 テレビってそもそも最も「ソーシャルな」メディアじゃないですか。人間も「ソーシャルな」=社会的な生き物です。私見として語弊を恐れず言いますと、NHKの建物の中に入ると、ともすると、そこで働く私たちは本来の「ソーシャル性」にシャッターを下ろしてしまう傾向があります。先ほど申し上げました震災時のユーストリームの件のように、「公共放送の視聴者サービスとして必要なこと」や「できなさそうに思っていたけど実はできること」は、意外とあるのかもしれません。つまり、シャッターを閉ざしてしまう原因は、実は、我々自身の中にあるのではないか。ソーシャルメディアとの出会いによって、私たちがそのことを気付き、テレビの本質をもう一度考え追求するよい機会になればよいと思っています。

 【西田】 本日は、お忙しいなか興味深いお話をいただき、ありがとうございました。

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