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シェイク!Vol.18 どうしたら作れる、面白い企画 4th(2)
伊藤隆行(テレビ東京プロデューサー)×米光一成(ライター)×佐藤ねじ(アートディレクター)
連載2回目は、伊藤さんの初めて企画が通ったときの話から始まり、シェイク!Vol.13で話題になった米光さん制作中のゲーム「ヘモグロビン」がその後どうなったのかについて話が及んでいく。
自分にしか作れないものの見つけ方
「大人の悩みに6歳児が答えるラジオ」は、こどもを見てかわいいなーっていうところが出発点なの?
オリジナリティとはなんだろう? といつも考えています。テレビでもネットでも面白いコンテンツがたくさんあるなかで、二番煎じをやってもしょうがない。二番煎じって誰がやっても変わらないじゃないですか。それよりも、自分にしかできないことで、意味があることをやりたい。
そう考えたときに、自分のこどもの持つ固有の面白さに注目したってこと?
ざっくりこどもって区切ると、同じ6歳の子はたくさんいるし、作ってもよくあるかんじのこどもコンテンツになってしまう。けど、もっと解像度を上げて観察したら、こどもは一人一人違って、喋る内容は誰とも似ていない。そういうふうに、リアルに存在する自分の息子を使ったり、あるいは、自分の具体的でプライベートなことをなにか他の技術と組み合わせてみたら、それだけで新しいものが見えてくるんじゃないかなって。そう考えています。
それを世に送り出すときも、自信と覚悟が必要ですよね。
そうですね。
ねじくんのオリジナリティの話で、企画が初めて通ったときのことを思い出しました。
入社して初めて?
そうです。毎週企画を出して、ずーっと落ち続けたんですよね。10秒喋ったら止められて「わかりやすく言ってくれるかな?」「もうちょいテレビ見たら?」と言われる。通らない、通らないの連続で、2年目の秋に初めて通ったんですよ。
よくくじけなかったですね。
「企画を書かないやつは死んでるといっしょだから」。入社してすぐに言われた言葉です。社会人になりたてって、どんどんプライドを破壊されていきますよね。テレビといっても地味な作業ばかりで、企画もいっこうに通らない。でも、この言葉を思い出しては、書くしかないって。
ブレイクスルーのきっかけはなんだったんですか?
ある上司と飲みに行って、なぜ企画が通らないと思うか、という話になったんです。最終的には「おまえは自分を天才と思うか?」と訊かれて。「めっそうもございません」って答えたら「やめちまえ」って言われた。「99%は凡人でいいから、1%は天才でいろ」と。1%の天才って言ってもなーと思いながら、過去の企画書を見返すと、これまでにあったテレビ番組を模倣したような、いかにも「テレビっぽい」案だったんですよ。
思考の枠がそうなってしまっていたんですね。
これからはそこに頼らずに、自分の過去の記憶や自分が感じたことで書こう。そう決めて初めて書いた企画が、通ったんです。
企画に初めて血がかよったっていう。
そうです。高校時代の野球部の思い出から発想しました。野球部の買い食い中に、ラグビー部もよく来てたんですけど、そこにデブ二人組がいたんです。
なんか絵が浮かびます。
ふとっちょって、二人揃うとより面白みが出る。二人で歩いてるの見るとなんか笑っちゃうじゃないですか。で、二人とも同じもの買ってて、それが中華用の料理の麺。粉末スープをかけて、ほぼ同時のタイミングでばりばりばりーって食うんです。ぼろぼろ食べこぼしながら。「なに食ってんの?」って聞いたら「伊藤くん、これがめっちゃうまいんだよー。しかもベビースターよりこっちのほうが安いんだよー」ってニコニコしながら言うの。
男子だなあー。
「1%は天才でいろ」とは、自分の感受性を信じることだろうと。自信と覚悟を持って、もうこれでいいやと書いたのが「3匹のこぶた デブはうまいものを知っている」。太ったタレントさんを集めて、好きな食べ方をしてもらう。そしたら「秋の改編時の特番で一回やってみろ」って。
それが初だったんだ。へえー。
自分の記憶を頼るのもひとつの方法だとわかった。それ以降、自分が見て感じたことはメモして大事にするようになりました。今日のできごとでもやりとりでも、記憶に残ると企画になっちゃうというね。自分の感覚でばんばん企画を書いたほうが軽やかでいいよねーって思うようになりました。
ぼくもよくメモを取っています。でも、日々、感じることってたくさんあるわけで、そのなかで重要視しているのが「違和感」なんです。感動よりも違和感のほうが、オリジナリティが高いと思うんですね。感動だと、「夕日きれい」とか、みんな同じようなことになっちゃう。
そうだ、米光さん「ヘモグロビン」はどうなったんですか? 前回、開発中という話をしてましたけれども。
「ヘモ!」「グロ!」「ビン!」って言いたいなあ、口にすると気持ちいいよなーと思って、ゲームを試作して、テストプレイを繰り返していたんですけど、その反応を見てると、どうもねー。みんな「ヘモグロビン」の気持ちよさを理解しないんです。
みんなそんなに言いたくなかったと。
ぼくが嬉々として「ヘモー!」ゆってるのに、みんな「グロ……」。付き合わされてる感ありあり。でも「断片的に言葉を口にすること自体は面白いよ」って言ってくれた人がいたのね。これはどうやらヘモグロビンじゃねえなと。
大元を切り替えたんですね(笑)。
気持ちいい言葉を求めて、「おしっこじゃー」にしました。「お」「し」「っ」「こ」のカードが揃ったら、あとはみんなで「じゃーーーーーーー」ってずっと言う。開放感があって気持ちよさそう。でも、カフェでテストプレイしたら誰も口にしてくれないんです。
カフェですからね。
じゃあ、「おしっこじゃー」じゃなくて「はっけよい」だということで、完成したのが「はっけよいゲーム」です。
そういう経緯だったんですか! ぼく持ってます。
「はっ」「け」「よ」「い」のカードが揃ったら、あとは「のこった」「のこった」ってのこったカードを出してく。出せなくなった人から負け抜けしていって、のこったカードが残った人が勝ち。
これ、家族で遊んでます。「のこったのこった」言ってて気持ちいいんですよね。詳しく説明しないとなかなか面白さが伝わりにくいゲームだとは思うんですけど、めちゃめちゃ面白いです。
話を整理すると、ゲーム「ヘモグロビン」は失敗に終わったということですね?
いやいや! 諦めてません。まだ世の中がヘモグロビンに追いついてないんですよ。まだ早いんで、みんなが追いつく6年後ぐらいに完成させます。
で、「口が気持ちいい」は残して、「はっけよいゲーム」が出たんですね。
面白いんですよ。4人で「のこったのこった」って言いあう機会ってないじゃないですか。
ぃのこったあ〜、ぃのこったぁ〜♪(行司風に)
そうそう。言いたくなるじゃないですか。でも、カードが貯まらないと言えないんです。
勝つためにはのこったカードをたくさん取らないといけない。
言いたいけど言えない……そこに葛藤が生まれるっていう。