• シェイク!Vol.16 「境界線を越える仕事」(1)<br>後藤繁雄(クリエイティブディレクター)×草彅洋平(東京ピストル代表取締役社長)×ターニャ (谷生俊美)(日本テレビ)

シェイク!Vol.16 「境界線を越える仕事」(1)
後藤繁雄(クリエイティブディレクター)×草彅洋平(東京ピストル代表取締役社長)×ターニャ (谷生俊美)(日本テレビ)

異なる業種で活躍する3人がそれぞれの視点で語り合い、新たな価値観を生み出すヒントを見つけるトークセッション「シェイク!」。第16回は「境界線を越える仕事」というテーマで、「編集」というキーワードで境界線を越えた仕事を手がけるお二人と、生き方の境界線を越えるターニャさんを通して、今という時代の生き方について、率直な意見が飛び交うトークセッションとなった。この三人によるトークセッションの模様を全5回シリーズでお届けする。

男が女に変わるきっかけ

草彅

どうも、司会進行の東京ピストル代表・草彅と申します。

ターニャ

日本テレビのターニャです。ターニャってなんなの? ってよく言われるのですが、本名が谷生で、会社ではターニャと言われておりまして。メディアなどで顔出しするときはターニャにしようって決めたんですね。

後藤

ぼくは、座らないほうがしゃべれるから(立って自由に動き回っている)。後藤繁雄です。長年編集者をしていて、広告や展覧会のプロデューサーもやっています。

草彅

では、境界を越えていく仕事術をおふたりにお聞きします。ターニャさんは元報道なんですよね?

ターニャ

そうです。2000年に、男性として日本テレビに入って。映画製作希望だったのですが、報道局に配属になり、国際ニュースを扱う外報部や社会部警視庁担当をへて、2005年から5年間、中東カイロ支局長をつとめました。2012年からは今の編成部にいます。最初の希望を誰かが覚えていてくれたんでしょうね。『金曜ロードSHOW!』や『映画天国』という関東ローカルの深夜放送のプロデューサーをしています。……で。いつからこうなったのかというと。

草彅

気になります!

ターニャ

まあ、ちょっとずつなんですよねー。私、31でカイロに行ったんです。そのぐらいの年って、会社員としての人生も見えてきて、今度どういうふうに生きていくのかって考えるじゃないですか。

草彅

うんうん。

ターニャ

そういう人生について考えていたタイミングでカイロに行きました。2005年4月です。支局に日本人が1人しかいない環境で、自分の気持ちや自身のジェンダーの問題と向きあう時間がたくさんあったんです。カイロに行く前の一時期、2002年から2年間、事件記者として忙しすぎて、トランスの気持ちが薄くなってたこともあったんですよね。そのころは髭を生やして、いまより10キロ以上太ってました。めっちゃ男でしたからね。でも、エジプトでは、時間もあって、いろいろ考えられる余裕があったので、自分の気持ちに向き合って、ちょっとずつちょっとずつ変えていったんです。髪を伸ばしてみたり、レディースのちょっと中性的なデザインの鞄を持ってみたり。ネイルサロンに行ってみたり。だんだん谷生だいじょうぶかって話になって(笑)。

草彅

仕事の境界を超えていくどころじゃない超え方をしている。

ターニャ

記者は顔出しがあるから、「髪長いな」「中東っぽくないぞ」と言われましたね。中東で浮いた存在でした。でもひとつ、中東にいた5年間でほんとに思ったことがあって。人はね、いつ死ぬかわからない。

後藤

わかるなあ。そうですよね。

ターニャ

テロがあった3、4時間後の生々しい現場を取材することもあります。ガラスや犠牲者の靴や血が飛び散っている。日本だと規制線が張られて入れないんですけど、向こうはゆるいんで入れちゃうんです。おじさんが血の海を掃除してて、「あ、中継? ここでやれば」っていう感じで言ってくる。いやこれ人死んでますよね? さすがに気が引けるし、映り込むのはまずいのでずらして撮りましょう、みたいな・・・。
とはいえ、中東はテロばかり起きてるわけではなくて、ふつうの人のふつうの生活があるわけですよ。ああ日常ってかくもかんたんに崩れちゃうんだ。そして死ぬんだ。そう思いました。2010年に帰国したら今度は震災が起きた。日本だってなにがあるかわからない。

後藤

1回きりの人生だからね。

ターニャ

もう後悔しないように生きようと決意して今にいたります。

草彅

ターニャさんは性を超えましたが、後藤さんは何を越境してきたんですか?

後藤

ぼくは編集者を長くやっているんです。40年ぐらい。

草彅

フリーランスという言葉がない時代からフリーランスの編集者をやってきたんですよね。

後藤

会社に所属せずにずっとやっています。珍しいタイプでしょうね。京都で学生のときから事務所作ってやっていましたの。バイトはしたことがないです。

草彅

ぼくガストでバイトしてました。

ターニャ

私もバイトしてました。

後藤

バイトするぐらいだったら自分で会社作ったほうが早いでしょう。

ターニャ

すごいなー。

後藤

社会性がないから。大阪生まれなんですけど、家がややこしくてね。親戚が全員社長で、しかも母親が発狂して自殺しちゃったの。それで逃げ出したんです。そのときに、現実と虚構がいかに曖昧かっていう経験をした。それは大きいんですよ。境界っていう話に持っていくと、ぼくは狂気っていうものがへっちゃらになったわけです。

草彅

そうですか。

後藤

母親が発狂して和歌山の海に飛び込んで自殺したんです。それを追いかけるロードムービーを大学のときに撮影しましたよ。知らない間に焼かれて歯しか残っていなかったから、本当に死んだのかって思ってたくらい。だから、狂気と正気とか、健常者と障害者のボーダーみたいなことは、すっごい好き。こんな話ですみませんね?

草彅

いえいえ。

ターニャ

境界を越えていくっていう今日のテーマに合ってると思いますよ。最近はどんなお仕事をされているんですか?

後藤

「篠山紀信展 写真力」のプロデュースをしました。

ターニャ

それ行きましたよ。

後藤

全国での入場者数は100万人だそうです。それから最近の、「蜷川実花写真展 UTAGE 京都花街の夢」は、舞妓さん15人をスタジオで撮影したんです。きらびやかだけど序列のある世界だから、けっこう大変でしたが、どうしてもやりたくて。他には、DMMのオンラインサロンで編集スクールをやっています。

草彅

へー、オンラインサロンやってるんですか。

後藤

こういう新しいこともやっていかないとつまらないでしょう。基本は編集者なんですよ。材料があり、人がいて、それらを集めて編んで見える化していくわけです。すべてのものはあらかじめ存在しているけれど、見えるようにはなっていない。それを見える化するのが編集なんです。
で、草彅くんはね、「場づくり」を一生懸命やっている編集者なんだよね。

草彅

学生のときから雑誌やミニコミを作っていて、もう16年編集の仕事をしています。途中からイベントやウェブにも手を広げ、いつの間にかプロデュースをするようになりました。「BUNDAN COFFEE & BEER」は日本近代文学館の中にあるカフェで、小説に出てくる料理が食べられます。

後藤

どうしてプロデュースの仕事をするようになったんですか?

草彅

大先輩を前に恐縮なんですけど、本作るのもう飽きちゃったんですよね。

後藤

そんなこと言うなよー。本は面白いじゃないか。

草彅

いやいや、ぼくも本大好きですよ! でも、作っても読者の手に届いてない感じがするんですよねー……。それより本を体験させるほうがいいんじゃないかって。それでカフェを作りました。最近作ったのは、ホストが愛をテーマにした本を売る書店、歌舞伎町ブックセンターです。本ってもはや、便利で楽なAmazonで買われちゃう。じゃあわざわざ書店に出向いて買うことの価値ってなんだろう? 考えた結果、体験型の本屋になりました。

ターニャ

編集というと、文字通り文字媒体を編集する印象が強かったんですけど、お二人のように空間やイベントなどの場を作ることも編集なんですね。

[ 次回 自分を実験動物にして生きる へ続く ]

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