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シェイク!Vol.13 どうしたら作れる、面白い企画 3rd(3)
伊藤隆行(テレビ東京プロデューサー)×米光一成(ライター)×佐藤ねじ(アートディレクター)
連載第三回は、米光さんが新たに試行錯誤をしているゲーム「ヘモグロビン」のはなし。
気持ちよさをとことん追求してみる
作ってるゲームが完成しなくて困ってます。
悩んでるんですか?
うん。ヘモグロビンっていうゲーム作りたいんですよ。
ヘモグロビン。赤血球のなかにある、真ん中がへこんだやつですよね。
語感が好きなの。ヘモ、グロ、ビン。口が気持ちいいー。
なるほど。響きですね。
そうそう。いま作り中なの見せようか(鞄をごそごそしはじめる)。
シェイクでは毎回、米光さんの鞄から何かが出てくる(笑)。
でもねー、まだできてない(ヘモカード、グロカード、ビンカードが印刷された紙を見せる)。このカードを、まあ配るんでしょうね、きっと。カード出しながら「ヘモ」「グロ」「ビン」って言い合うのは絶対楽しいに違いないという確信はあるんだけど、今ちょっと難航していて。ヘモグロビンだけだとゲームとしての深みがないから、ビンチョウタンも入れようと。そうするとタンチョウヅルも入れたくなるじゃない? じゃあチョウビンビンも入れて。
チョウビンビン。下ネタですね。
ビンはヘモグロビンのビンであり、チョウビンビンのビンである。おれはヘモグロビンで行きたいけどあいつチョウビンビンで来たな、みたいな読み合いでゲームっぽくなるかなあとか悩んでるけど、いっこうに面白くなんないの。
米光さんって、その状態でもどんどん作り始めちゃうんですよね。ぼくだったら、ゲーム的に面白くなりそうだって見定めてから作りますけど、なんとなく「ヘモグロビンおもしろーい」で作っちゃうのは、けっこう直感型というか。
直感なのかなあ。
で、試行錯誤しているうちに、ビンチョウタンも入れようって思いつく。最後はなんとかなるんですもんね。
響きだけで発動してるわけですね。
うん。気持ちいいー。中学生のときって理科の授業で「ヘモグロビン」って出てきたら妙におかしい、みたいなのあるじゃないですか。
ないですよ(笑)。
ええー。ないの? 「ゲルマン民族大移動」とか言うの楽しくなかった? 「王政復古の大号令」「シャルルドゴール空港」「高濃度茶カテキン」みたいな。
ああ、言いたくなるやつ。
そうそう。ほとんど赤ちゃんの発想ですよ。フロイトのリビドー発達段階でいったら口唇期をまだ脱してないレベル。
フロイトが急に来ましたね。
赤ちゃんがね、最初は口で吸って満足を得る口唇期を経て、次が肛門期でって、発達していくんですよ。だからまあ、赤ちゃんなんですよ。
なぜヘモグロビンで行こうと思ったのか聞きたいです。
特になんもないもん。
いや、あると思うんですよ。行く行かないのジャッジをするときに、米光さん自身のなかで言語化はしてないかもしれないですけど。
ジャッジ?
あえて言語化してみるなら、センスなんですかね。直感でこれが面白そうだと思うんですか?
ジャッジ……してるのかなぁ……。元々はコンピューターゲーム中心でやっていましたが、アナログゲームにシフトして、だいぶ作り方が変わったんですよ。コンピューターゲームだと、ぼく一人では作れないのでさすがにジャッジしてました。『地虫取りの一生』というゲームを作ろうとしてたんですけど、デザイナーに見せたらそんな地味な絵は描きたくないて言われた。それは引っ込めるんですよ。その女性デザイナーが気に入るように作り直して『BAROQUE』になった。他者とのやり取りがあるから、いろんなところでジャッジが行われたけど、アナログゲームって一人で作れるからジャッジしなくていいんですよ。
素の米光さんが解き放たれたわけですね。
ぜんぜん面白くなりそうもないものをえんえん考えてるから、これってよくないかもしんない(笑)。家で一人で「ヘモ、グロ、ビン」ってやって一日が終わるんですよ。大人としてまずいよね。
まずいなあ(笑)。
もう諦めろよ、おれ、きっと面白くなんないから、とも思うんだけど。
でも諦められないんですね。もう完全にヘモグロビンでなにかやりたがってますもん。
うん。日々考えてます。その流れで音声学にも興味を持ち始めました。「さかな」という音とさかなという実体には、ほぼ、なんの関連もないわけですよ。別に「もけら」でもいいし、他の国では「ふぃっしゅ」と呼ばれている。音と実体に関係がないからこそ、たくさんの言葉が生まれて豊かになった。でも、オノマトペは音真似であるから、音と実体が一致している。さらさらしている状態とさらさらという音はほぼ一致している。さ行は擦れるものに使われます。すくすくは、擦れて伸びていく感じと一致している。口が気持ちいいと感じていることと音声学は関連しているんじゃないかって思い始めてます。ヘモグロビンという音が指す実体は真面目なものなのに、ヘモっていうちょっと間抜けなものがついてるから、そこに違和感が生まれるわけです。口の気持ちよさプラス実体とのズレの面白さにぼくは惹かれているんじゃないか。そういうことを日がな考えています。
たとえば、上司の名前がヘモグロビンになるとかどうでしょう。
君のメガネは今日からヘモグロビンと呼ばれますとか。
ぼくリネームが好きで。たとえばゴキブリって、名前がもう悪意的じゃないですか。ゴキブリの名前が「さわやか」だったら、さわやかホイホイとか、ふわーっとした響きでいいな、とか。
対談した五箇先生は、ダニって言い方はひどいと言っていました。
響きに悪意ありますよね。
そう。ダニって人々の生活の役に立ってるありがたいものなんだぞって。そのときは語気が強かった。さすがダニの専門家。
悪いやつは濁点が多いんですかね。タニだったら可愛く噛みそう。
五箇先生は、外来種って名前も悪意的だと言っていました。
池の番組を見ていて気になりました。
日本人が外来種を池に入れちゃったわけですよね。たとえば、ソウギョやライギョは、食用のために輸入して繁殖していたのが逃げ出して野生化した。
敵だってことじゃないし、こっちが招きいれちゃったわけだから、そこを表現してあげたいですよね。
ようこそ種。
おもてなし種。ウェルカム種。
ぜんぜんイメージ変わりますね。みうらじゅんさんが昔〈第2次世界大戦っていうネーミングも、第1次、第2次とくれば、絶対第3次が起きるに決まってんじゃん。「完結編」って打てばいいのに〉と言っていて。いい言葉だなあと思って「ブラウザに表示される第二次世界大戦が常に「さいごの世界大戦」になるボタン」を作ったんです。ブックマークレットかクロム拡張のボタンを押してダウンロードすると、リネームされます。それでウィキペディアの第二次世界大戦のページを読むと、ああ平和が訪れたんだって、ぐっとくるんですよ。名前は大事です。
名前は大事です。ヘモグロビンを大事にしましょう。
大事にします。考えていきます。次のシェイク!で完成してるといいなあ。
「ヘモグロビンの気持ちよさ」をゲームとしてどうアウトプットするかを考えるのは、まさに企画をする楽しさであり、苦しみであり。
そうですね。
いつどこで「これで行こう!」ってなるか分かんないですもんね。
ずーーーっと考えてて、わっ! これだこれで行けるー! っていうものが思いついたときの喜びは格別です。そのためにやっていると言ってもいい。
米光さんの作っているゲームって、飲み会のときにコミュニケーションツールとして気軽にできるゲームですよね。そういう役割になっている。ぼくはこれまで役に立つような番組作りをしてなかったんですけど、池の水は、誰かの実生活の役に立った。役に立つものって、人に受け入れられるんだなって感じました。なぜか不思議と、町の人たちが自発的にいろいろやってくれるんですよ。
たくさん集まってきてますもんね。
こないだ1000人集まりましたね。子供とおじいちゃんとおばあちゃんがたくさん来た。
もう一大イベントですね。
やはり社会的な意義って必要だなと。
ぼくは発想しているとき、どうしたら面白くなるだろうとしか考えていない。でも、面白かったらみんなが集まってわいわいできて、そこから交流が生まれて、結果的に社会的な意義が生まれていく。
ぼくはアプリを作るときに「コンテンツとサービス」という分類をしています。コンテンツは面白いもの。サービスは役立つもの。『池の水ぜんぶ抜く』はコンテンツなんだけど、結果的にそれがサービス領域に入っている。発想するときにコンテンツ型の人とサービス型の人って分かれるんですよ。ぼくはそこの割合をアプリごとに調節します。コンテンツにちょっとサービスを入れると異質なものになったりする。サービスにちょっとだけコンテンツはよくありますよね。使ったら音が鳴る子供用のハサミは、いわばハサミにコンテンツ機能を入れている。そこの配合量で考えたりしますね。
ねじくんって発想の仕組みが理論的だよね。
言葉にしたいんですよ。言葉にして、「ドヤァ」って言いたい(笑)。言葉にすることで再現可能になるから。そうじゃないと作れないです。「ヘモグロビン気持ちいい」でぼく行けないですもん。
そっかあ。へもぐろびぃーん……(小動物の鳴き声のようにうめく)。
以前、伊藤さんは勇気が大切だとおっしゃってましたけど、ぼくは勇気がそんなにないので言葉にしてメモすることで補完しています。