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シェイク!Vol.15 「ここが変だよバリアフリー ~障がい者とメディアの距離感と手ざわり~」(5)
空門勇魚(NHK制作局第1制作センター青少年・教育番組部ディレクター)×ライラ・カセム(デザイナー・大学研究員)×森永 真弓(博報堂DYメディアパートナーズ)
異なる業種で活躍する3人がそれぞれの視点で語り合い、新たな価値観を生み出すヒントを見つけるトークセッション「シェイク!」。第15回は「ここが変だよバリアフリー ~障がい者とメディアの距離感と手ざわり~」というテーマの連載最終回は、2020年のオリンピック・パラリンピックの話を主題に据え、今回はアフタートークを収録。このトークセッションの翌週に行われたR-1ぐらんぷりで見事に濱田祐太郎氏が優勝。その意義について語ってもらった。
2020東京オリンピック・パラリンピックに向けて
今回、NHKがパラリンピックで障がい者キャスターを起用しています。あれって、スタッフ側も今まで経験したことのない配慮をしなきゃいけないですよね。NHKでどんなことが起きているのか気になります。
直接関わっていないので細かい話はできないんですけど。同じ障がいのある立場の人間にパラリンピアンを取材してもらおうと。それで始めた取り組みらしいです。
スポーツ番組って、男性のキャスターとゲストが多くて、女性はアシスタント扱いが多いと思うんですね。でも、NHKが放送した今回のオリンピックの番組は、4対1の比率で女性が多かったんです。みんな主体性を持って発言していて。これは面白いぞと思いました。それでふと思ったんですよ。障がい者キャスターをオリンピックのほうに出せば面白かったのになーと。
パラリンピックだけにする理由はないですからね。
ロンドンパラリンピックを見ていてよかったのは、メインキャスターのスポーツマンが、フラットな目線で、アスリートとしてパラリンピアンの身体能力を語っていたこと。それが素直に面白かった。
そうですよね。技術以外にも、毎日どんなトレーニングをしてるのかも知りたいです。スレッジホッケーとか、激しくぶつかり合うじゃないですか。あの衝撃を耐えるためにどうやって体を作っているのか。
NHKはそういうのも放送してるんですけどねー。なかなか認知されないですね。ずっとパラリンピックってほとんどEテレでしかやらなかったし。最近ようやく総合で放送する機会が増えてきました。
なんか福祉といえばEテレみたいなイメージあるよね。
そうそう。
区分けされてるかんじありますね。
あと、今回もそうですけど、オリンピックからパラリンピックまでめっちゃ空いてるんですよね。
2週間空きます。
そこでどうしても冷めちゃう。
友達がFacebookの投稿でパラリンピックのことを「続いては後半戦です」と言ってて。オリパラを前半後半って考えると楽しいよね。
私はスポーツやアニメ、映画など弊社が買い付けているコンテンツをサポートする仕事をしています。その観点からいくと、最近のスポーツの大会って盛り上がりが立ち上がるのが遅いんですよ。始まってからか、せいぜい1日前にならないと盛り上がりがこない。「そろそろオリンピックですよ」「そろそろ高校野球ですよ」と事前に予告したときに、昔は1、2週間前から盛り上がりが来てたんですけど。
今回も事前の盛り上がりなかったですねー。
まったく。でも始まったらむしろ前よりも盛り上がる。なので、2週間空くのは、1会盛り上がった熱をゼロにするに等しいです。
空けないといけないのはわかるんですけど。理想を言えばオリンピックと一緒にやってほしいです。オリパラ関係なくメダル獲得を臨時ニュースにして中継したら、注目度は上がるでしょう。
逆に、配慮のしすぎで気持ち悪さを感じる問題もあります。去年ヒットした映画『美女と野獣』の舞踏会シーンに違和感がありました。ヨーロッパの白人貴族社会を舞台にした昔話なのに、ゲイのカップルや黒人もいる。わかるんだけど……そこまで配慮されると、時代考証としてどうなんだろうかとか(笑)、そっちばっかりに目が行っちゃって話に集中できない。
ファンタジーだからいいじゃーんとも思いますけどね。
見てる側に、「あ、これ明らかに“置いてる”な」って思われたら負けですよね。置いとかんと怒られるからとりあえず置いとくかっていう発想はダメだと思います。
マイノリティの扱い方にもセンスの問題はあるよね。
作り手のなかで必然性や思いがあるかどうか。ポイントはそこかなと思います。
この間、アメリカで映画の仕事をしていた人から聞いた話で。ミステリーのショートフィルムを作るためにそれぞれの配役のオーディションをした。それぞれ純粋に選んだ結果、事件を解決する役と被害者は白人で、犯人が黒人になった。この組み合わせは今のハリウッドではまずい、ということになり、犯人に選ばれていた人を切る羽目になったそうなんです。差別に配慮しすぎた結果、黒人の役者さんはむしろ役を失ってしまったわけで、それってどうなんだろうなあと。
日本に似てますね。クレームが怖くて行き過ぎた配慮をする。自分のスタンスをはっきりさせてどっしり構えていればいいのに。
すぐ謝っちゃう。
私は仕事のときに、こう言われたら「私たちはこういうスタンスなので」って返すマニュアルを作っています。クレームが来たらどうしようじゃなくて、自分がどう思うか、どうしたいかをはっきりさせることが大事。それって作り手として当たり前のことです。
空門さんも、事前のシミュレーションはしますか? たとえばバリバラ大運動会に対して「不謹慎だ」と批判が来た場合とか。
当然やります。やっぱり勝算があるから出しているわけです。大運動会は本人がやりたいって言ってることを企画にしている。それの何が悪いんですか? っていう。ぼくらが無理矢理やらせてるなら問題ですけど。
合意しているわけですからね。
東京2020に向けてオリンピックスポンサーがCMを打ち始めていますよね。あれを見ていて「これきっとオリンピックとパラリンピックの選手の比率を何割にするっていう指定があるんだろうなあ、見え見えだよねえ、本当にパラリンピックに共感して作っているのかなあ」って、受け取る側は感じたりしないのかなあって考えることがあります。広告業界の人間が言うことじゃないかもしれないんですが。
日本においてはなかなか注目されてない存在やったから、今がチャンスであることは間違いないです。出資してもらえるチャンスがあるんやったらそこでいかに爪痕を残すかですよね。
障がい者の競技団体はチャンスだと思っているんでしょうか、それとも「急に波が来てるけど、どうしよう」という戸惑いのほうが強いんでしょうか。
作り手も、マイノリティや普段作るプロセスに置いて配慮されなかった人々の目線を使って制作するうちに、どんどん研ぎ澄まされて、扱い方のセンスがわかってくると思います。きっかけがIOCに指定されたから、であってもいい。どんどん作ってほしいです。
生々しい話をすると、オリンピックでも、実業団にいたり、ちゃんとスポンサーがついている選手をメディアでどう取り上げていくかに関しては、電通や博報堂が組んでやったりしているじゃないですか。そうじゃなくて、一個人だったり、学校の先生と教え子だけでやってます、みたいなところだと、メディア戦略がうまくいかない。それといっしょで、障がい者スポーツのほとんどはおそらく後者に該当します。売り出しの専門家ではないから苦労するじゃないかなあって。
ちなみに今日、うちの社内の者からもらってきた写真があるので、見てほしいんです。ラスベガスで開催されたコミコンという、アメコミを中心としたコンテンツファン、まあ向こうで言うオタクが集まるイベントの模様です。そこにカッコいいコスプレイヤーさんがいたんですよ。車椅子ならではのコスプレです。
へー。
車椅子を王座に改造して、王座に座っているハートの女王コスプレをしたり。蟻に改造して、蟻に乗ってるふうのアントマンコスプレをしたり。コミケにも車椅子の参加者はいますが、車椅子ならではのコスプレをする人は見たことがないなー、かっこいいなー、悔しいなーと。ちょっと負けた気分(笑)。
「コミケはADHD率高いんだよー」って友達から聞いたことがあります。コスプレで派手な格好ができるし、役割になりきって会話ができるし、打ち解けられる、発達障がい者の憩いの場だって。コミコンでコスプレしているこの子も、ふだんはシャイなのかもしれない。イベントきっかけで行動を起こせたのかも。
しかもこの改造、かなりの腕前です。作り込んでますねー。
わーこの人、取材したいなー。
こういう人たちがヒーローになれるっていいよね。作品で障がい者がどう描かれるかって、その子のアイデンティティに大きく関わってくると思うんですね。わたしの子供の頃は障がいある人=悪人だった。最近では『セサミストリート』に自閉症のジュリアがいたりするように、障がい者がたくさん作品に登場したり、コミケに障がい者が参加することで、子供たちの世代が私たちの世代より前向きで活発になっていくといいな。
《終》
・・・
アフターレポート
トークは白熱し、1時間半の予定が2時間越え。打ち上げ先のラストオーダーのタイムリミットが迫る……。しかし会場から出るところでさっそくハプニングが発生した。時間が遅いため、スロープのついた出口が閉鎖されてしまったのだ。夜間出口にはわずか数段ではあるが段差があり、車椅子では降りられない。帰ろうとしていた来場者に介助してもらい、なんとか降りることができた。
滑り込みセーフでたどりついた居酒屋では、来場者の話題で盛り上がる。理学療法士や作業療法士などの医療系の人や、引きこもり対策の活動をしている人など、さまざまな職種の人がイベントに来てくれていた。また、空門さんとライラさんによる熱いお笑いトークも繰り広げられたのだった。R-1ぐらんぷりに思いを馳せながら、打ち上げは終了した。
そう、シェイク!の翌週にR-1が開催され、シェイク!の最中にも話題になっていた濱田祐太郎さんが見事に優勝を果たした。ここはもちろん皆さんに優勝を受けての感想を頂戴した。
障がい者が障がいをネタにした笑いでメジャーなお笑い大会で決勝まで残り、タイトルを獲ったことは史上初で単純にすごいことだと思いました!「バリバラ」でもお笑いの大会をやっていますが、本来はこういうメジャーなお笑いの大会に障がい者が出て、プロの芸人と勝負するのがあるべき姿だと思っていたので、それが現実となりさらに結果も残してくれたというのは、素直にすごいなと。トレンディエンジェルがハゲネタでM-1を獲ったのと同じように、「純粋に芸人として自分の強みは何か」を考え、ネタをブラッシュアップし、実力で茶の間をわかせたという事実が障がい者業界的には歴史的な出来事だと思います。 今後は純粋に「ピン芸人王者」として、テレビや舞台で戦っていってもらい、障がい者が当たり前に茶の間やお客を笑わすエンターテイナーになっていってほしいなと期待と応援をしています。M-1でもキングオブコントでもそうですが、ここで結果を残したからゴールじゃなくて
ここからどれだけ芸人として爪痕を残すかが勝負なので、そこはイチ芸人として頑張って欲しいです。なので別に彼を通してバリアフリー社会を進めるとか、障がい者への理解を促進するとか、そういう役割を背負わせない方がいいなと個人的には思っています。彼の話すおもしろエピソードを聞いた人が、ふと日常のバリアや障がい者の世界を全然知らなかったなそういえば、と思ってくれたらこれ幸い。というか本来、バリアフリーってこちらが押しつけるものでなく、一緒に過ごしたりコミュニケーションする中で勝手に気づくのがあるべき形だと思うので、彼にはメジャーなバラエティー番組やドラマ映画とかどんどん活躍の場を広げてもらって、1人でも多くの人に愛される存在になってほしいです。
(逆に芸人としてここで終わると、結局また障がい者のお笑いは・・・って話に戻るかも)あと彼を励みに、いろんな障がいのある芸人が、プロのお笑いの世界を目指してほしいです。
今もいろいろいるはいるんですが、それでメシを食えるレベルに達しているのはほぼいないので。
空門さんがいうように、ゴールデン枠という点はとても大きいです。バリバラのような「障がいを扱う枠」で披露し、面白いネタであっても、視聴者のほとんどは色眼鏡でみてしまうでしょう。
彼がここまでこれたのは並大抵のことではないと思います。話の流れや構想など、日本的な漫談そのものでした。今回のネタは彼のイントロネタ的なものだと思いました。私としては前にも聞いたことがあって、今回この舞台、バラエティー初では妥当なチョイスだと思いました。MCや主演者含め、初めての観客は多少戸惑っていたと思います。最初登場したときの拍手と始めの数秒はそうでした。しかし彼は魔法の言葉を言った「笑うか迷っていたら、とりあえず笑ってください」。これは彼にしか言えない。。それで一気に会場がひとつになった。いいよ笑って。私も障がいのない友人とはゆっくり自虐ネタを持っていきます。しかし初対面の人や講演でそういう「ネタ」をいうといつも笑い半分戸惑い半分なので(単に私がスベったというケースかもしれないが)。さすが芸人!と思いました。
3回目のR−1、年を重ねて試行錯誤してあのフレーズにたどり着いたと思うし、話に磨きがかかってプロだと思った。こういう障がいのあるプロ!がいることが、今後障がいのイメージを変えるでしょう。
そして何よりも一般投票。過去最多の67%。これが鍵です。審査員だけではどこか意図があるだろうと私みたいな皮肉な人間は思うでしょう。日本は思ったより受け入れがいい国ではないですか!欧米は追わなくていい。今回の出来事をきっかけに、日本らしい「違い」の受け入れができたのではないでしょうか。私にとって何よりも嬉しかったのが合間合間にみるインクルージョン。最初に補助の人と一緒に出てきて、補助の方がスタートの合図の背中ポンポン。第一ラウンド結果で隣にいた紺野ブルマさんが結果や画面の状況を説明。そしてのが同期芸人や主演芸人とのやりとり。「濱田、R−1ぐらんぷりのぐらんぷりがひらがなって知らんやろ?」「プリウス買いたい」「24時間テレビのマラソンランナーになって武道館と反対の方向に走りたい」。こういうことなんです。テレビというマスメディアでみるからこそみんなの日常に入っていく。合理的配慮とか1億人総括の根本にあること。いろんな違うを知ることで人は自然と混じり合いし文化が発展していく。今回はその第1歩だったかなと思います。これから彼のネタがどう発展するかも楽しみです。漫談や盲学校のネタだけではなく、個人的にはコントなども見てみたいです。
あえて専門分野がと言えるものがあるとしたら、ソーシャルメディアなんですよ、私(笑)。
なのでR-1当日、Twitterでどういう反応が出ているのかをチェックするために、ひたすら検索かけてブラウザタブを開きまくってました。R-1に限らず他の番組でも、お笑いネタへのTwitterの反応は「面白い!!」とどんなに盛り上がっても、必ずネガティブな反応が一定量発生します。
「はあ?!全然意味分かんないんだけど」「これを面白いっていうセンスがわからない」「こんなのを面白いと言うなんてセンスない」みたいな感じの反応です。
で、時に「はあ?!あの面白さがわからないお前のほうがセンスないのでは」といった場外乱闘が始まったりします。
面白いと思うかどうかの感性は人それぞれですから、これは普通の状況、お笑い番組×Twitterの日常の光景です。濱田さんのネタの時はどうだったのかというと、正直なところ「いつもよりもネガティブな反応の比率が少なすぎるな」と感じました。
そして「感動した」「ありがとう」といった反応が多かったんですね。それもネタの内容ではなくて「盲目の漫談師さんが渾身のネタで会場や自分たちを笑わせてくれる姿」への感動であって、それはパラアスリートの頑張りに対して「勇気をもらいました」といっている感じに近いのです。
これって純粋に芸人同士のネタの対決とは違う文脈が入ったことを表しているよなあと、思いました。発生した反発といえば「障がいをネタにしててずるい」みたいな書き込みはいくつかあって、それに対して「本人がネタにしてるからいいじゃないか」「トレエンの斉藤さんがハゲをネタにしてるのとどこが違うんだ」といった返信からの場外乱闘の発生もありましたけれど、それも「障がい者にまつわる話題取り扱いにかかわる不謹慎問題」の論調なんですよね。
斉藤さんがネタをやると「ハゲやばい、ズルすぎるwwwww」などと平気でTwitterに書かれるのに、濱田さんへ「目が見えないとか、やばいwwwwww」とは書かれない。
もちろん「ハゲだっていじりネタにするのはだめだよ」という前提はありつつも、本人がネタとして笑わせに来てるんだからこっちだって笑い飛ばしながら突っ込んでいいじゃないか、となるんですけれども、どこかにラインが引かれているんですよね。障がいにまつわるものは「なんとなくいじってはだめだ」となっている。
純粋にネタのどこが面白いのかそうではないのか、という話には至っていないのだな、という現実を痛感しました。
でも当たり前なんです、これは第一歩ですから。
「笑うか迷っていたら、とりあえず笑ってください」という言葉で、明らかに濱田さんは扉を開け、ネタの面白さそのもので道を切り開きました。
今後の彼のさらなる活躍で、そして時には彼も面白くないこともあるんだと思います。そのときに周囲の人間が「障がい者だから」といって忖度し、不謹慎かどうかを考えずに「ただ単にフツーに滑った芸人」として取り扱うことも必要だと思います。
そういった積み重ねによって、障がいを持った芸人が純粋にネタで評価され、面白い人は残り、面白くない人は「障がいがあるからではなく単純に面白くないから」という理由で消える、という世界につながっていくといいなと私は願っています。
その先にあるのは「本人がネタにしている自虐は笑っていいけれども、本人の特徴をバカにして笑うのはだめだ」という、空門さんがおっしゃっていた感覚の普及です。
障がいもそうだけど、ハゲもデブもチビもブスも非モテも同じです。
ボケとツッコミという対等な関係であって、上下関係のあるイジりではない、みんなにとって居心地の良い、人を傷つけないお笑い文化の普及です。
濱田さんの活躍は、そのきっかけの扉でもある、ということ改めて、強く述べておきたいと思います。
最後に皆さんの熱い思いをR-1優勝から垣間見ることが出来た。
[ アフターレポート 完 ]